神戸地方裁判所 昭和56年(ワ)156号 判決 1985年10月29日
原告
富士興産株式会社
右代表者
西口清美
右訴訟代理人
池上徹
被告
興亜火災海上保険株式会社
右代表者
前谷重夫
右訴訟代理人
西昭
右訴訟復代理人
寺崎健作
被告
日動火災海上保険株式会社
右代表者
中根英郎
右訴訟代理人
安藤猪平次
今後修
右訴訟復代理人
長谷川京子
主文
一 原告の被告らに対する本訴各請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、原告は、「(1)被告らは各自原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五五年八月一日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。(2)被告興亜火災海上保険株式会社は原告に対し、金八〇〇万円及びこれに対する昭和五五年八月一日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。(3)訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。
一、原告は、昭和五五年四月一〇日、訴外波田正夫(以下「波田正夫」という)より、同人が神戸市東灘区住吉宮町一丁目九番地の一において新築マンションとして建築工事中の同人所有の建物(鉄骨造陸屋根三階建共同住宅一階七四・〇八平方メートル、二階六六・二四平方メートル、三階六六・二四平方メートルの計画で建築中。以下「本件建物」という。)を買い受け、かつ残工事施行も、従前の請負業者である訴外武広勲(以下「武広勲」という)から引継ぎ自ら直営で竣工させることとしたところ、本件建物は、同年四月一二日、近隣の不審火により類焼被災し、新築分譲マンションとしての取引価値を喪失した。
二、これより先、右波田正夫は、建築中の本件建物の不慮の火災事故を慮り、昭和五四年一一月一二日、被告興亜火災海上保険株式会社(以下「被告興亜火災」という)と、右建物につき、保険金三五〇〇万円の住宅火災保険契約(甲第一号証の保険証券のとおり)を締結し、同日、約定保険料金二万八〇〇〇円を支払った。
三、また、右武広勲においても、請負工事中の本件建物の火災事故を慮り、昭和五四年一一月二日、被告日動火災海上保険株式会社(以下「被告日動火災」という)と、保険金二〇〇〇万円の建設工事保険契約(甲第二号証の保険証券のとおり)を締結し、同日、約定保険金一万六〇〇〇円を支払つた。
四、被告興亜火災に係る本件住宅火災保険期間は、契約日である昭和五四年一一月一二日から同五五年一一月一二日までの一か年、被告日動火災に係る本件建設工事保険期間は、契約日である昭和五四年一一月二日から同五五年一一月二日までの一か年であるところ、本件建物の火災発生は、昭和五五年四月一二日であるから、右各保険期間中の火災事故に該当する。
五、従つて、被告らは、右住宅火災保険の目的物である本件建物の所有権取得者であり、かつ、同建物に係る建設工事施行義務の承継者である原告に対し、右各保険契約に基づき前記各保険金の支払いを速かになすべきであるにもかかわらずその支払いをしない。
六、本件建物の前記火災により、本件建物はその分譲マンションとしての価値を喪失し、その損害額は金三三七〇万円に及んだ。
七、よつて、原告は前記損害額金三三五〇万円のうち金二八〇〇万円につき前記請求の趣旨記載のとおり被告らにその支払いを求めて本訴に及んだ。
第二、被告興亜火災は、「(1)原告の請求を棄却する。(2)訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告主張の請求の原因事実に対する答弁及び抗弁として次のとおり述べた。
一、答弁
1 請求の原因一項記載の事実のうち
(一)、本件建物が原告主張の日に近隣火災の類焼により罹災したことは認める。
(二)、本件建物が原告主張の昭和五五年四月一〇日当時波田正夫の所有物件であつたこと、原告が本件建物を波田正夫より買い受けたことはいずれも争う。
(三)、その余の事実は不知。
2 請求の原因二項記載の事実は認める。
3 請求の原因三項記載の事実は不知。
4 請求の原因四項記載の事実のうち、被告興亜火災に関する原告主張の事実は認める、その余の事実は不知。
5 請求の原因五項記載の事実のうち、被告興亜火災は原告に対しその主張の保険契約に基づく保険金を支払つていないことは認める、その余の事実は争う。
6 請求の原因五項及び同六項記載の各事実はいずれも争う。
二、抗弁
1 本件住宅火災保険契約は無効。
(一)、本件住宅火災保険契約の締結時、本件建物は波田正夫の所有物件ではなく、武広勲の所有物件であつた。ちなみに、武広勲は本件建物を自己所有物件として、昭和五四年一一月二日被告日動火災との間において保険金額金二〇〇〇万円の住宅火災保険契約を締結しているし、また昭和五四年一二月二〇日付けで本件建物につき自己を所有者とする所有権保存登記手続をした。
仮に、本件住宅火災保険契約締結当時、本件建物の所有者が武広勲でなかつたとすれば、同建物の所有者は訴外源治正勝(以下「源治正勝」という)であつた。すなわち、波田正夫は昭和五四年八月二九日同人が源治正勝より借り受けた資金の譲渡担保としてではあるが建築中であつた本件建物をその敷地(神戸市東灘区住吉宮町一丁目九番の一、宅地一五九・七四平方メートル)とともに源治正勝に譲渡した。そして、源治正勝は同年一二月二五日本件建物を自己所有物件として東京海上火災保険株式会社との間において住宅火災保険契約を締結した。その後も、波田正夫は源治正勝に債務の弁済ができなかつたので、源治正勝は波田正夫に貸付けた資金回収のために昭和五五年四月一〇日本件建物とその敷地を原告に譲渡した。
以上のように、波田正夫と被告興亜火災との間における本件住宅火災保険契約締結当時、本件建物は波田正夫の所有物件ではなかつた。しかも、波田正夫は右保険契約の締結に当り同人から被告興亜火災に対し他人(武広勲から源治正勝)の所有物件を目的とした保険契約である旨の申出もしなかつたので、波田正夫と被告興亜火災間に締結された本件住宅火災保険契約は事実に反するので、住宅火災保険普通保険約款第一一条により無効である。
2 原告の譲受承認裏書請求手続の欠。
波田正夫が本件建物を原告に譲渡するにあたつては、あらかじめ保険会社である被告興亜火災にその旨を申し出て保険証券(甲第一号証)に承認の裏書を請求しなければならないのにもかかわらず、右手続を怠つているので、たとえ原告主張のごとく昭和五五年四月一〇日に本件建物の売買契約を締結しその直後の同月一二日に罹災したからといつて右手続の懈怠の責を免れることはできず、従つて、譲渡後でしかも右承認裏書の請求書を受領するまでの間に発生した本件火災による損害については住宅火災保険普通保険約款第八条により被告興亜火災は保険金支払の義務はない。
なお、被告興亜火災は本件火災の発生した同月一二日まで波田正夫から保険の目的である本件建物の譲渡に関する申し出すら受けていない。第三、被告日動火災は、「(1)原告の請求を棄却する。(2)訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告主張の請求の原因事実に対する答弁、主張及び抗弁として次のとおり述べた。
一、答弁
1 請求の原因一項記載の事実のうち、波田正夫が本件工事中の本件建物を所有していたこと、本件建物が昭和五五年四月一二日焼失したことは認める、その余の事実は否認する。本件建物は波田正夫から源治正勝に所有権が移転し、原告は昭和五五年四月一〇日源治正勝から本件建物を買い受けた。
2 請求の原因二項記載の事実は不知。
3 請求の原因三項記載の事実のうち、原告主張の日に被告日動火災と武広勲との間に保険契約が成立し、同日約定保険料が支払われたことは認めるが、その保険契約は住宅火災保険契約であり、建設工事保険契約であつたとの原告の主張は強く否認する。住宅火災保険金請求権と建設工事保険金請求権とは別個の権利であるから、原告主張の建設工事保険契約に基づく保険金支払請求は失当である。
4 請求の原因四項記載の事実のうち、被告日動火災に関する原告の主張事実は認める、その余の事実は不知。
5 請求の原因五項記載の事実のうち、被告日動火災と武広勲との間に締結されたのは住宅火災保険契約であつて原告主張のような建設工事保険契約は存在しないから、同保険契約の存在を前提とした原告の主張は失当である。仮に、被告日動火災と武広勲との間に原告主張の建設工事保険契約が締結されていたとしても、原告は武広勲から同保険契約の承継を受けていないので同保険契約に基づいて保険金の支払請求をなしえない。
6 請求の原因六項記載の事実は不知。
二、主張
1 波田正夫から本件建物の所有権を取得した源治正勝は、昭和五四年一二月二五日訴外東京海上火災保険株式会社と保険期間を一か年と定めて住宅火災保険契約を締結した。そして、原告は源治正勝から同保険契約上の権利を承継し、昭和五五年一二月二六日東京海上火災から本件火災に基づく火災保険金として金六一九万二〇〇〇円を受領し、原告の蒙つた損害を填補したものである。
三、抗弁
仮に、武広勲と被告日動火災間に締結された保険契約が原告主張の建設工事保険契約であるとしても、被告日動火災は次の理由により原告主張の保険金支払義務を負わない。
1 本件建設工事保険契約の終期による免責。
本件建設工事保険契約においては、保険会社の責任は保険期間の末日の午後四時の経過とともに免責されるが、なお、保険期間中であつても、工事目的物件の引渡時(工事目的物件の引渡しを要しない場合にはその工事が完了した時)に免責される(同保険普通保険約款一般条項第一条3)こととされている。
本件においては、武広勲は昭和五四年一二月二〇日本件建物の所有権移転登記手続をなし、同日、本件工事の発注者である波田正夫の指示により源治正勝に対し所有権移転登記手続を経由して本件建物を引渡したのであるから、被告日動火災の責任は、本件建物が引渡された昭和五四年一二月二〇日をもつて終了しており、その四か月後に発生した本件火災については、被告日動火災は保険金の支払義務を負わない。
2 原告の譲受承認の裏書請求手続の欠。
本件の建設工事保険においては、保険の目的を譲渡し、あるいは工事を追加し、変更し、中断または放棄する場合には、保険契約者または被保険者は、右事実の発生がその責に帰すべき事由によるときは、あらかじめ書面をもつて、その旨を保険会社に承認の裏書請求をしなければならず、同手続を怠つた場合には、その事実が発生したときから承認裏書請求書を受領するまでの間に生じた損害については、保険会社は責任を負わない(同保険普通保険約款一般条項第六条)。
本件においては、仮に原告がその主張のように昭和五五年四月一〇日武広勲から本件建物の請負建築工事を承継したという場合、同工事承継には必ず保険の譲渡、あるいは同工事の変更を伴い、かつ同工事の承継が武広勲の責に帰すべき事由によるものであることは明らかである。ところが、武広勲又は原告は、あらかじめ被告日動火災に対し、本件工事の承継の申し出をし、その承認の裏書請求をすべきであつたにもかかわらずかかる手続を行わない間に本件火災に罹災したのであるから、被告日動火災は本件火災に基づく本件建物の損害填補の責任を負わない。
第四、被告ら主張の抗弁に対する原告の認否と再抗弁
一、答弁
1 被告興亜火災主張の本件住宅火災保険契約が無効である旨の抗弁は争う。本件建物は本件住宅火災保険契約締結時はもちろん、原告が本件建物を買い受けた昭和五五年四月一〇日の時点においても実質的には波田正夫の所有物件であり、原告は所有者の波田正夫から本件建物を買い受けたものである。
なお、この点について、武広勲は、昭和五四年一二月一一日、本件建物につき所有者として表示登記をなし、次いで、同月二〇日、所有権保存登記をなし、かつ、同日、源治正勝に対し売買を原因とする所有権移転手続を経由したが、これらの登記は、いずれも実体上の権利関係に符合しない無効な登記である。
武広勲は、波田正夫所有の本件建物を勝手に自己の所有名義に登記し、これを源治正勝に譲渡したものであり同譲渡は無効である。他方、原告は真実の所有者である波田正夫から本件建物を譲り受けたものである。
2 被告日動火災主張の本件建設工事保険契約の終期により免責される旨抗弁は争う。武広勲は、原告が本件建物を取得した昭和五五年四月一〇日の時点において、なお残工事を有して工事続行中であり、同日以降、武広勲は本件建設工事及び本件建設工事保険を原告に引継ぐとともに、原告の下請として本件工事の完成に参画することとなつたものである。
3 被告ら主張の原告の譲渡承認裏書の請求手続欠の抗弁については、原告はその主張の日に波田正夫から本件住宅火災保険の付保された本件建物を譲り受けたが被告興亜火災主張の譲渡承認の裏書請求手続を行わなかつたこと、また、原告はその主張の日に武広勲から本件建設工事保険に係る本件建物の譲渡を受けたが被告日動火災主張の譲渡承認裏書の請求手続を行わなかつたことはいずれも認めるが、被告らがその主張の普通保険約款を盾に免責を主張することは、かかる約款の性質並びに運用の実態に照らして極めて失当である。
すなわち、保険の目的物件の譲渡に際し、あらかじめ、保険会社に申し出よとの普通保険約款の規定の存在を契約者一般に認識させその励行を義務づけることは、一般に、まず保険の目的物件の譲渡が行われ、その後の手続として相当期間内に保険会社に当該連絡がなされその承認請求がなされている実状を無視するものである。
原告は、昭和五五年四月一〇日、保険目的の本件建物を譲り受けたが、その二日後の同月一二日にはやくも保険事故である本件火災により本件建物は罹災したものであり、このような事情がなければ、被告らに対する所定の承認裏書請求がいずれも遅滞なく行われていたはずである。
本件火災後、直ちに原告は被告らに対する保険金請求手続を開始したが、当初、被告らの関心はむしろ事故原因が不審火かどうかの点に存し、事前通知の存否の点は眼中になかつたのである。ちなみに、昭和五五年五月頃には、被告日動火災は事前承認等の約款を全く問題とすることなく支払手続を進めていたものである。
二、原告の主張と再抗弁
仮に、原告に被告ら主張の譲受承認の裏書請求手続に係る保険約款に違反していたとしても、同保険約款は原告に対し次の理由により拘束力を有するものではないので、同保険約款を盾に支払いを拒むことはできない。
1 約款の不受領
本件の場合、保険契約者である波田正夫及び武広勲のいずれもが、被告興亜火災又は同日動火災のいずれもから被告ら主張の普通保険約款を受領していない。せめて、保険契約後の時点においてでも、被告らが保険約款を右保険契約者らに送付していたのであれば、被告ら主張の保険約款の条項を認識する可能性もあつたが、本件においては、そもそも保険契約者らにおいて、かような承認の裏書請求手続条項を知る余地が全くなかつたのであるから、同条項の拘束力は保険契約者である武広勲及び波田正夫に対し当初から生じていない。
従つて、被告らは、住宅火災保険の目的の本件建物及び建設工事保険の目的の請負工事の譲受人である原告に対し、右条項の拘束力を主張しえない。
2 支払の承認
被告日動火災は、昭和五五年五月頃、事前に承認の裏書請求手続に係る保険約款の点を全く問題とすることなく、原告に対し保険金支払手続を進めていたものである。これは、被告日動火災に関する限り、右手続懈怠の責問権を放棄して、原告への支払いを承認したものである。
3 信義則違反
保険約款上、右承認の裏書請求手続に係る条項があるとしても、保険の目的物の譲渡に際し、機械的にこれを契約者に強制することは、保険目的物の売買の実情に照らし極めて不当である。契約者が売買に先立つて保険会社に対し保険証券に承認裏書を求めるなどということはおよそ実情にそぐわない。
譲渡後相当の期間内に、遅滞なく右承認の手続がなされたならば、被告らは信義誠実の原則からも支払いに応ずべきであり、まして本件は、譲渡直後の火災であるから、保険約款を盾に免責の主張をすることは、消費者に一方的に不利益を強いるものである。右約款の条項は、公平の観念や契約者の契約意思に即してみれば、いわば例文にすぎず信義誠実の原則に照らして無効である。
4 不合理な不填補事由
保険会社が、承認を責任発生要件とするのは、目的物の譲渡に関連して二重払いの危険を防止するためである。しかし、この条項は、「譲渡によつて著しい危険の増加がある場合にのみ保険契約が失効する」と規定する商法六五〇条二項の趣旨から大きくへだたるに加え、保険金の支払いを受ける者に一方的に不利な結果となる。
5 帰責事由の不存在
保険契約者らは、目的物の譲渡につき何ら責に帰すべき事由を有せず、従つて「あらかじめ」被告らに通知しその承諾を求める等の義務を負担しないものであり、原告は本件保険約款に拘束されない。
第五、原告主張の主張と再抗弁に対する被告らの認否
被告らは原告主張の主張及び再抗弁をいずれも争うと述べた。とりわけ、被告日動火災は次のとおり反論の主張を付加した。
一、普通保険約款の効力について
火災保険契約をなすに当り、当事者は特別に約定しない限り、保険会社の定めた普通保険約款による意思をもつて契約するのを普通とする。従つて、当事者双方が特に普通保険約款によらない旨の特別の意思を表示せずに契約したときは、反証のない限り、その約款による意思をもつて契約したものと推定される。
ところで、武広勲と被告日動火災間の保険契約は住宅火災保険契約であるところ、被告日動火災は武広勲から付保の申込みを受けた日の十数日後である昭和五四年一一月一八日付けで、普通保険約款及び特約条項に従う旨が記載された保険証券を武広勲に送付したものであり、武広勲は、同約款によらない旨の意思を表示せずして契約を締結(又は締結した契約の事後承認)したのであるから同約款に拘束される。仮に、武広勲と被告日動火災間の契約が原告主張の建設工事保険契約であつたとしても、右の理は変らず、当事者が普通保険約款によらない旨の意思を表示していない以上、当事者はそれぞれ建設工事保険契約の普通保険約款に拘束される。
二、建設工事保険普通保険約款一般条項第六条の効力について
1 建設工事保険普通保険約款一般条項第六条によれば、保険の目的物を譲渡し、あるいは、工事を追加し、変更し、中断しまたは放棄するという事実が発生したときは、保険契約者または被保険者はあらかじめないし事実の発生を知つた後遅滞なく保険会社に対し書面をもつてその旨を通知し、保険証券に承認の裏書を請求しなければならない。そして、その場合、保険会社は承認裏書請求書を受領するまでの間に生じた損害を填補する責任に任じない。
2 商法六五〇条は被保険者が保険の目的を譲渡したときは、保険契約により生じた権利を譲渡したものと推定すると規定し、更に保険の目的の譲渡によつて危険が著しく変更または増加したときは、保険契約はその効力を失うものと規定している。普通保険約款の前記条項は、保険の目的物の譲渡の場合の法律関係につき商法六五〇条に定めた大綱に則り、具体的な手続やその内容について定めたものである。商法の規定だけでは円滑な保険実務を遂行することができないからである。
そして、普通保険約款の前記条項は、具体的には保険会社、被保険者双方の左記の各要請を容れて定められた合理的なものであり、信義則ないし衡平の原則に反したものではない。
3 まず、保険会社の側からいえば、保険会社は、保険金受領者の確定・保険法上の義務履行者の確定・保険契約者変更による解約・これらのために、保険の目的物の譲渡の事実・譲受人が誰れか・工事の追加、変更、中断、放棄の事実・その内容・工事施行者が誰れかについて知る権利を有している。
このうち、保険金の受領者の確定の問題としては、保険の目的物が譲渡され、あるいは工事施行者が変更されたにもかかわらず通知義務を履行しない場合、保険会社は被保険利益を有しない者に保険金を支払うおそれが生じ、二重弁済の危険を保険会社が負担することになるから、保険会社は、保険契約者と譲受人間で自由に行われる保険目的物の譲渡の場合に、保険金の受領者を確定させる必要がある。
また、保険法上の義務の履行者の確定の問題としては、例えば、保険金支払義務者は誰れかの確定、危険の増加の通知義務・損害防止義務・損害発生の通知義務等の義務を誰れが負担するかという問題が生じる。保険の目的物を譲渡し、あるいは工事施行者が変更された場合、通常、保険の目的物を支配している譲渡人ないし工事施行者がこれらの義務を履行すべきである。したがつて、保険会社との関係においても、一般条項第六条の通知義務が履行されてはじめて保険法上の義務の履行者の確定が可能となる。
次に建設工事保険契約の解約の問題としては、保険会社は、従前の保険契約者と、かつ従前の工事内容について、保険契約を締結したのであり、目的物が譲渡されたりあるいは工事内容が変更された場合にもなお、保険会社に対して、保険契約の継続を強制することは妥当でない。殊に工事保険の場合は、工事施行者の変更は危険の変更・増加を伴うことも多く、工事保険の継続・解約を考えるについて重要な事項である。さらに、具体的な危険の変更・増加が立証されない場合でもそのおそれがある場合には保険会社としては契約を解除したい場合も生ずる。従つて、保険会社が譲渡人または譲受人に対して通知義務の履行を求めるのは当然のことである。
保険の目的物の譲渡の場合、譲受人の立場からみても、積極的に通知義務を履行することは自己の利益となる。例えば、保険事故の発生した場合において、保険会社が従前の保険契約者に対して保険金を支払うということもなくなるし、また、譲渡人が保険契約の解約を申し出て保険会社がこれに応ずることによつて保険契約が解約され、事故発生にもかかわらず譲受人が保険金を受領できないという問題はなくなるからである。
4 このように、一般条項第六条の規定は、保険会社だけではなく被保険者の要請にも応じた合理的なものであり、さらに、本条は商法六五〇条と異なり保険の目的物の譲渡により危険が著しく変更・増加した場合にも保険契約を当然には無効とはしていない。
以上の諸点からみて、被告日動火災主張の建設工事保険普通保険約款一般条項第六条(通知義務)は、合理的なものであつて、これが信義則に反し、あるいは不合理であり無効であるとの主張は失当である。
第六、証拠関係<省略>
理由
第一被告興亜火災との関係について
一波田正夫が建築中の本件建物が昭和五五年四月一〇日に類焼被災したこと、波田正夫は昭和五四年一一月一二日被告興亜火災と本件建物につき原告主張の住宅火災保険契約を締結し、同日約定保険料金二万八〇〇〇円を支払つたこと、本件火災の発生は右保険期間(昭和五四年一一月一二日から同五五年一一月一二日まで)中のものであること、被告興亜火災は原告に対し保険金の支払いを拒んでいること―については当事者間に争いがない。
二被告興亜火災は、波田正夫と被告興亜火災間に締結された本件住宅火災保険契約が本件建物の所有者の点において真実に反し無効であると主張し、同当事者間において成立について争いのない乙第三号証(住宅火災保険契約のしおり)によると、波田正夫が本件住宅火災保険契約締結時に後記のとおり合意したものと推認される本件住宅火災保険普通保険約款第一一条には、「保険契約締結の当時、他人のために保険契約を締結する場合において、保険契約者が、その旨を保険契約申込書に明記しなかつたときは、保険契約は無効とする。」と規定されている。そこで、本件住宅火災保険契約は同条項に違反し無効であるかにつき検討するに、原告と被告興亜火災間において(以下省略)<証拠>によると、次の事実が認定でき、同認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 本件住宅火災保険は、昭和五四年一一月一二日、波田正夫と被告興亜火災との間において、波田正夫を本件建築中の建物の所有者、本件建物を保険の目的物として締結された。
(二) 波田正夫は昭和五三年一一月ころ本件建物の新築工事を計画しこれを訴外兵庫民営工務協同組合に請負わせたが、同訴外人は同年一二月に倒産したため、改めて松本組こと訴外松本正也に請負わせたところ、同訴外人も工事途中の昭和五四年三月末に倒産し、その工事は一時中断の状態となつた。
(三) ところで、波田正夫は本件建物の工事を推進しようとしたがその資金に窮していたので、昭和五四年八月二九日、訴外井上睦(以下「井上睦」という)の紹介で知つた源治正勝との間において、建築中の本件建物及びその敷地を譲渡担保とし金二〇〇〇万円を借り受けることとし、そのために次のような契約をした。
(1) 源治正勝は京都相互銀行より金二〇〇〇万円を借り受けこれを波田正夫に貸付けること。
(2) 波田正夫は譲渡担保として本件建物及びその敷地の所有名義を源治正勝に移転することとし、敷地については直ちに、本件建物については工事完成後に登記手続をなすこと。
(3) 弁済方法は、担保として譲渡した本件建物及びその敷地の賃料名義をもつて毎月分割弁済の方法で支払い、昭和五九年八月二九日限りで元利金を源治正勝に完済すること。
(4) 借入金完済時には、譲渡担保物件である本件建物及びその敷地の所有権を波田正夫に返還すること。
(5) 波田正夫において右分割弁済を一回でも怠つた場合には本件建物及びその敷地を即刻明渡し、期限の利益を失うとともに前記土地建物の所有権返還約款は失効し、その返済を求めることはできないこと。
そして、波田正夫は昭和五九年八月二九日本件建物の敷地については源治正勝に所有権移転登記手続をなすとともに源治正勝のために根抵当権者を京都相互銀行とする根抵当権設定登記をし、同月三一日源治正勝より金二〇〇〇万円を借り受けた。
(四) 昭和五四年九月五日、波田正夫は本件建物の残工事の施行を武広勲に金一六〇〇万円で請負わせ、武広勲は同工事を進めた。ところが、波田正夫は同人の経営する波田土木が倒産したために昭和五四年一〇月下旬には右工事代金の支払いが不可能となつた。
(五) 武広勲は、井上睦らと善後策を相談の結果、右工事代金を確保するためには本件建物を完成し武広勲名義に表示登記をすることとして同工事を再開進行させることとし、昭和五四年一二月一〇日ころ、井上睦はあらかじめ波田正夫の娘波田さよ子から本件建物の施主変更届のために必要として所要の印鑑を受領していたので、これを利用して波田正夫には無断で武広勲名義の表示登記手続をとることとし、同一一日同表示登記をするとともに同年一二月二〇日には武広勲名義で所有権保存登記をも済ませた。
(六) 他方、本件建物に譲渡担保権を取得していた源治正勝は前記登記を見て驚いたが、京都相互銀行の仲介により、昭和五四年一二月一六日、武広勲に本件建物工事代金に見合う金七〇〇万円を支払つて本件建物の所有権移転登記を行うこととし、同月二〇日同登記は済ませた。
(七) 原告は、昭和五五年四月一〇日、未だ建築工事の完成していなかつた本件建物を源治正勝より波田正夫の承諾をえて買い受け(代金の一部は波田に支払われた)、同月一一日所有権移転登記を済ませた。
(八) なお、譲渡担保としてではあるが本件建物の所有権を取得した源治正勝は、昭和五四年一二月二五日東京海上火災と住宅火災保険契約を締結したところ、原告は源治正勝から本件建物とともに同保険契約上の権利をも承継したので、源治正勝の協力のもとに昭和五五年一二月二六日東京海上火災から本件火災に基づく火災保険金として金六一九万二〇〇〇円を受領した。
以上のような認定事実によると、本件住宅火災保険契約締結当時には、本件建物につき前記譲渡担保が設定されていたとはいえ、未だ所有権保存登記もなく、また本件建物の完成後には担保目的として所有権移転を行う契約があつたにとどまつており、しかも武広勲による前記表示登記も未だ行われておらず、未だ建築施主波田正夫により発注されて同人の所有物件として建築中の建物であつたので、本件建物の所有権は波田正夫にあつたものと解するのが相当である。
してみると、波田正夫が本件建物の所有権者として被告興亜火災との間で締結した本件住宅火災保険契約はその当時所有者の点では事実に符合し被告興亜火災主張のような相異点はみられないので、これが原告主張の前記約款第一一条に違反し無効と解すべき理由はない。
三被告興亜火災の免責について
1 被告興亜火災は原告が保険契約上の権利移転につき譲渡承認の裏書請求手続を怠つているので免責されると主張するので検討するに、原告は本件住宅火災保険の目的物である本件建物を昭和五五年四月一〇日に譲り受けたこと、本件住宅火災保険普通保険約款第八条には、本件保険の目的物件を譲渡したときは、あらかじめ保険会社(被告興亜火災)にその旨を申し出て保険証券に承認の裏書を請求しなければならないこととされており、右手続を怠つた場合には、譲渡後はその承認裏書の請求書を受領するまでの間に発生した損害については被告興亜火災は保険金の支払義務を負わない旨規定されていること、原告は本件住宅火災保険の目的物の本件建物を譲り受けるとともに本件住宅火災保険契約上の権利をも同保険契約者の波田正夫より譲り受けながらも、右承認の裏書請求手続を行つていなかつたことについては当事者間に争いがないところである。
2 ところで、原告は、波田正夫は本件住宅火災保険契約締結時及びその後においても被告興亜火災主張の約款等は受領していなかつたしその内容をも知らなかつたので、同約款は本件住宅火災保険契約の内容となるものではなく、従つて、同約款は波田正夫の右承継人である原告をも法的に拘束するものではない旨主張する。
しかしながら、<証拠>によると、波田正夫が本件住宅火災保険契約の申込みを行うことについては、被告興亜火災作成の普通保険約款及び特別条項を承認する旨記載された火災保険申込書によりその申込みを行い、同約款及び条項については予め又は契約後に保険証券とともに「住宅火災保険ご契約のしおり」と題する解説書を送付して覧読の機会を与えていたが、波田正夫は同約款によらない旨の特別の意思を表示することなく同保険契約を締結したことが認められる(同約款及び条項が保険契約締結後に保険証券とともに添付して送付されたとしても保険契約者が直ちに同約款及び条項によらない旨の意思表示をしなければ、右の理は同じである)ので、特段の事情のみられない本件においては、保険契約者の波田正夫は右約款を保険契約内容として承認したものとして同約款に拘束されるのはもちろん、その承継人の原告も同約款に拘束されるものといわざるをえない。
3 次に、原告は右約款は信義則と衡平の観念に反し無効である旨主張するので検討する。
商法の規定によれば、被保険者が保険の目的を譲渡したときは、同時に保険契約によつて生じた権利を譲渡したものと推定されている(商法六五〇条一項)。本件では反証もないし、被告興亜火災もこの点を争わないから、原告は、波田正夫から源治正勝、さらに同人から原告へと順次ではあるが、本件建物を譲り受けることにより波田正夫と被告興亜火災間の保険契約上の権利をも結局譲り受けたものと認められる。そして、この保険契約によつて生じた権利も保険会社に対する債権である以上は、この権利の移転には本来は通知又は承諾という対抗要件なくして保険会社には対抗しえないものと解するのが相当である。けだし、保険契約上の権利の移転といつても双務契約上の権利義務の包接移転の場合として、一方の契約当事者である保険会社の承諾なくしては、少くとも保険会社には対抗しえないものと解すべきである。従つて、権利移転のみに限つてみても、この権利の移転につき何んらの対抗要件を具備することなく当然に保険会社に対抗しうるものと解することは相当でない。他方、商法六五〇条二項によれば、保険の目的の譲渡が著しく危険を増加したときは保険契約はその効力を失うものとされ、保険期間中危険が保険契約者又は被保険者の責に帰すべき事由によつて著しく増加したときは、保険契約はその効力を失うものとされ(商法六五六条)、また、保険期間中の著しい危険の増加が保険者又は被保険者の責に帰することのできない事由によるときは、保険者は将来に向つて保険契約を解除することができるものとされる(商法六五七条一項)。右のいずれの場合にも「危険の著しい増加」が保険契約の失効又は解除の要件とされているが、このことと、保険契約上の権利の移転には通知又は承諾という対抗要件なくしては保険会社に対抗しえないものと解することとは別個の問題であつて区別して考察する必要があり、両者は相反するものではない。従つて、たとえ危険の増加があつても、それが「著しい」程度でないときは、保険契約の当然失効又は解除の問題は生ぜず、保険契約は、その目的の譲渡の場合には、譲受人が承継し譲受人と保険者の間にも存続するが、保険会社に対し対抗要件を具備しなければ保険契約上の権利の譲受を主張しえないこととなる。本件の場合、原告が保険の目的たる本件建物の所有権を取得したことは、別段「著しい危険の増加」の場合に当ることの主張立証はないから、保険契約の当然の失効又は解除は問題とならず、保険契約上の権利は譲渡人の波田正夫から譲受人の原告に承継され、この権利の移転を保険会社である被告興亜火災に通知するか又はその承諾をうることによりはじめて保険会社に対抗しうることとなり、この場合は、被告興亜火災は原告に対し損害填補の責任を負うこととなる。
ところが、保険契約の当事者間においていわゆる普通契約約款により右と異なる定めをすることは契約自由の原則により差支えないところである。そして、実際には普通契約約款により別段の定めをしているのが通常であり、本件の場合も別段の定めをしているのでその内容を検討するに、本件住宅火災保険普通保険約款第八条第一項(前記乙第三号証)は、「保険契約締結後、次の事実が発生した場合には、保検契約者又は被保険者はその事実の発生がその責に帰すべき事由によるときはあらかじめ、責に帰することのできない事由によるときはその発生を知つた後遅滞なく、書面をもつてその旨を当会社に申し出て、保険証券に承認の裏書を請求しなければならない。(但書省略)」と規定し、同項第二号は、「保険の目的を譲渡すること」となつている。そして、同条第二項は、「前項の手続を怠つたときは、当会社は、その事実が発生したとき又は保険契約者若しくは被保険者がその発生を知つた時から承認裏書請求書を受領するまでの間に生じた損害をてん補する責に任じない。」と規定し、同条第三項は、「第一項に掲げた事実が存する場合には、当会社は、その事実について承認裏書請求書を受領したと否とを問わず、保険契約を解除することができる。」と規定している。右約款の規定によると、保険の目的の譲渡が「事実の発生がその責に帰すべき事由によるとき」に当るか否かを別とすれば、被告興亜火災主張のように、保険の目的を譲渡する場合は、保険契約者又は被保険者は、譲渡前に又は譲渡後遅滞なくその旨を保険者に申し出て、保険証券に承認の裏書を請求しなければならず、右手続を怠つたときは、保険者は譲渡の時から承認裏書請求書を受領するまでの間に生じた損害をてん補する責任を負わないこととなり、また保険者は承認裏書請求書を受領したと否とを問わず保険契約を解除することができることとなる。本件の場合、前述のとおり、本件保険の目的物件をその責に帰すべき事由(本件の場合はその意思に基づき)により譲渡しておきながら、波田正夫も原告も被告興亜火災に対し右承認裏書請求の手続をしないうちに、本件建物の火災が発生したのであるから、右約款の規定によれば、被告興亜火災は右損害のてん補の責任を負わないこととなる。そして、これは結果的には著しい危険の増加がないのに、保険契約が失効したのと同じである。しかし、同約款第八条三項の解除規定(危険の著しい増加のない場合にも解除できるとすれば商法の右規定以上に譲受人に不利益な規定である)を別とすれば、波田正夫又は原告において本件建物の譲渡前又は譲渡後遅滞なくその旨を保険者に申し出て、保険証券の承認裏書請求書を出しておきさえすれば(保険会社は正当な理由なくしては拒めない)。債権譲渡の対抗要件である通知又は承諾の手続を行うことなく被告興亜火災に対し損害の填補を請求しえたものであり(対抗要件の方法を保険契約の特質と保険取引の実情に合わせて特殊なものとしたにすぎない)、保険契約の失効又は解除の場合と直ちに同視することはできない。
もつとも、普通契約約款は、大企業における契約の大量的、定型的締結の要請から大企業が一方的に設定するのが通常であり、また、契約の相手方は約款の内容の知不知にかかわらず約款の条項を全部承認して契約したものとみられるので、企業の立場の経済的優位を背景として契約の相手方としての消費者の利益を軽視し企業の利益を偏重するという弊害に陥りやすいことは否定できない。普通保険約款はその設定、変更について行政官庁の認可を得ているものではあるが(保険業法一条、一〇条)、裁判所は、具体的訴訟において、事案の適正な解決のために信義則、公序良俗など法一般の原則に照らし、約款条項が有効かどうかを判断しなければならないことは多言を要しないところである。
ところで、本件住宅火災保険上の権利の移転は民法の一般原則によれば通知又は承諾(双務契約上の地位の移転の場合は承諾がいる)という対抗要件によつて保険会社に対抗しうるものと解すべきところ、保険契約上の権利の移転の場合には、保険会社は、目的物の譲渡の場合に保険金の受領者の確定による二重払の危険の防止・保険法上の義務履行者の確定・保険契約者変更による解約のために保険目的物の譲渡の事実と譲受人が誰れかについて後日紛争のない程度に確実に知る利益を有している。なお、保険会社が大量の保険契約を迅速的確に取扱うときにはこの要請は一層大きい。従つて、保険会社が譲渡人又は譲受人に対し確実な方法により通知義務の履行を求めることには合理的な理由があり決して過大な要求とはいえない。また、目的物の譲渡の場合、一般消費者の地位にある譲受人の立場からみても、積極的に通知義務を履行することは、被告日動火災が主張するように、保険会社が従前の保険契約者に対し保険金を支払うおそれはなくなるし、また、譲渡人が保険契約の解約を申し出て保険会社がこれに応ずることによつて保険契約が解除され、事故発生にもかかわらず譲受人が保険金を受領できないという問題もなくなり、譲受人だけが保険契約者としての地位を確実に取得するという利益を有することも否定できない。さらに、保険目的物の譲渡の場合に前記約款による承認裏書請求手続を義務づけることは、商法六五六条の保険の目的物の譲渡が著しく危険の増加したときは、保険契約はその効力を失う旨の規定と比較考慮した場合、著しく危険の増加のない場合には右承認の裏書請求の手続さえ行えば保険会社に保険契約上の権利の移転を対抗できることとなる(保険会社も正当な理由がない限り承認裏書を拒むことはできない)のであり、またその承認の裏書請求の手続も保険契約者の権利の行使を不当に制限する程の煩瑣な手続ともいえないので、保険契約上の権利移転の特殊性(保険契約上の地位の移転を含むので)と取引の実情などからみて、右承認の裏書請求の手続を権利移転の対抗要件とした被告興亜火災の定める前示約款の条項は、商法の前示規定の趣旨と大きくへだたり、保険者に有利にして保険契約者又は被保険者に不利なること甚だしいものがあるとまではいえない。
してみると、普通保険約款の前記条項は、保険の目的物の譲渡の場合の法律関係につき・商法六五〇条が定めた大綱に則り、しかも、保険会社・被保険契約者双方の前記各要請を容れ、かつ保険契約が保険証券により具体的に確定表示され、保険証券により保険取引と処理が行われているという保険契約の特質とその取引の実情を考慮して、その対抗要件の手続及び内容を具体的に定めたものであつて、これが合理性を有し、信義則ないし衡平の原則に反する無効なものとはえない。
4 してみると、原告は本件住宅火災保険の目的物件である本件建物を譲り受けておきながら、波田正夫又は原告は・譲渡前又は譲渡後遅滞なくその旨を被告興亜火災に申し出て、保険証券に承認の裏書を請求しなければならないのに、右手続を怠つた(右裏書請求手続を保険契約上の権利移転の対抗要件と解すべきであるが、本件火災後においても、被告興亜火災の事後の承認裏書もない)のであるから、被告興亜火災は、前記約款第八条二項により、本件火災により原告の蒙つた損害を填補する責任を負わないものといわざるをえない。
第二被告日動火災との関係について
一波田正夫が建築中の本件建物は昭和五五年四月一〇日に類焼被災したこと、武広勲(井上睦に任せ同人を通じて)は昭和五四年一一月二日被告日動火災とその種別はともかくとしても保険契約を締結し、同日約定保険料金一万六〇〇〇円を支払つたこと、本件火災の発生は右保険契約期間(昭和五四年一一月二日から同五五年一一月二日まで)中のものであること、被告日動火災は原告に対し保険金の支払いを拒んでいること―については当事者間に争いがない。
二そこで、武広勲と被告日動火災との間に締結された本件保険契約について検討するに、原告と被告日動火災間において(以下省略)<証拠>を総合すると、武広勲は本件建物の建築工事請負人として工事中に発生する損害を填補するために保険の種別について十分な知識、理解もないままに被告日動火災代理店に本件保険契約の申込みをしたところ、同代理店においても保険の種別について十分に吟味検討を加えることなく武広勲と本件保険契約を締結したので、本件保険契約は、実質的にみれば原告主張の建設工事保険契約と解しうるけれども、しかし、保険契約の種別により保険料、保険金支払の原因・金額等に差異が生ずるので保険契約の種別は厳格に区別認定されるべきところ、武広勲は建築中の本件建物を保険目的とした火災保険契約申込書(建設工事保険申込書によらず)により保険契約の申し込みを行い、被告日動火災(代理店を通じ)も同申込みを住宅火災保険の申込みと認めて武広勲と被告日動火災間には住宅火災保険契約が締結されたこと、そして被告日動火災が作成し送付した本件保険証券の保険の種類欄には住宅火災保険と表示されていること、保険契約は種別を明記した保険契約申込書に基づいて行われ、また締結された保険契約の種別は保険証券に明示されるので保険証券により判別されるべきである(実務の実情・間違つていると変更手続をとる)ことが認められるので、本件保険契約は錯誤の問題は残るとしても住宅火災保険契約と解すべきである(単なる表示の誤記とは解されない。そして所有者の点で事実に反する保険契約となる)。
従つて、武広勲と被告日動火災間に建設工事保険契約が成立したことを前提とした原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない(保険金支払請求権は種別保険契約ごとに別個に発生するので他の種別保険契約上の保険金支払請求権を流用することはできないものと解すべきである)。
三1 仮に、武広勲と被告日動火災間に締結された本件保険契約が実質的にみて原告主張の建設工事保険契約と善解すべき余地があるとしても、被告日動火災は次の理由により原告主張の損害填補としての保険金支払責任を負わない。すなわち、<証拠>には、原告会社が本件建物を譲り受けた際、原告は武広勲との間で被告日動火災と武広勲間の保険契約上の権利をも承継したことをうかがわせる証拠部分もみられるが、さらにこれらの証拠を関係各証拠と合わせ検討すると、武広勲は波田正夫より本件建物の建築工事を請負いその施行中であつたところ、原告が本件建物を源治正勝より譲り受けた昭和五五年四月一〇日の時点においては未だ残工事を有し工事続行中であり、その後も本件建物の残工事を引き続き続行完成を希望し、またその予定でおり、他方、原告は別の業者に本件残工事を請負わせて完成する予定でおり、そのいずれとも決まつていない間に、本件火災により工事中の本件建物が焼失してしまつたこと、本件保険証券の交付や後記のように権利譲受の承認裏書の請求手続が行われていなかつたことなど保険契約上の権利移転を否定する事実もうかがわれるし、さらに、本件全証拠によつても、原告主張のように武広勲と原告との間において本件建物の所有権移転の際に武広勲が請負つた本件建設工事自体及びそれに伴う同保険契約上の権利を移転する旨の合意ができたことまではとうてい認められない(本件建物の所有権移転に伴つて本件建設工事保険契約上の権利までが当然に移転するものではない(当事者が異なり、商法六五〇条一項の推定規定の適用はない)し、また、仮に同保険契約上の権利の移転が行われたとしてもこれは契約者の地位の譲渡に伴うものであり、保険契約上の契約者の地位の譲渡には同契約の一方の当事者である保険者(被告日動火災)の承諾をえなければその効力を有しないものと解すべきところ、本件全証拠によつてもその承諾があつたことまではとうてい認められないので、いずれにしても被告日動火災との関係においては右保険契約上の権利の移転は肯認することはできない(なお、本件保険を前述のように住宅火災保険と解しても、保険の目的物である本件建物もしくは保険契約上の権利が武広勲より原告に譲渡されたことは同様に認められない)。
2 原告は本件建設工事保険普通保険約款一般条項第六条(通知義務)の承認の裏書請求手続を怠つている(本件保険契約を住宅火災保険契約と解しても、原告は同様の承諾の裏書請求手続を怠つていることは明らかである)。
すなわち、<証拠>によると、本件建設工事保険普通保険約款一般条項第六条第一項は、「保険契約締結後、次の事実が発生した場合には、保険契約者又は被保険者はその事実の発生がその責に帰すべき事由によるときはあらかじめ、責に帰することのできない事由によるときはその発生を知つた後遅滞なく、書面をもつてその旨を当会社に申し出て、保険証券に承認の裏書を請求しなければならない。(但書省略)」と規定し、同項第二号は、「保険の目的を譲渡すること」、同項第三号は、「工事を追加し、変更し、中断しまたは放棄すること」となつている。そして、同条第二項は、「前項の手続を怠つたときは、当会社は、その事実が発生したとき又は保険契約者若しくは被保険者がその発生を知つたときから承認裏書請求書を受領するまでの間に生じた損害をてん補する責に任じない。」と規定している。
ところで、武広勲が原告に対し本件建設保険の目的である本件建物の建設工事自体又は同保険契約上の権利を譲渡したとしても、原告又は武広勲は同条項所定の承認裏書請求手続を行つていないことは当事者間に争いのないところであるので、原告は同条項により被告日動火災に対し本件火災による損害の填補としての保険金請求をなしえないものといわざるをえない(なお、右裏書請求手続は保険会社に対する権利移転の対抗要件と解すべきであるから、事後の同請求手続によつても被告日動火災が承認の裏書をすれば同被告に対抗しうるけれども、同被告は事後の裏書請求書の受理を拒んでいる)。
なお、原告は同条項は法的拘束力がない旨主張しているが、<証拠>を総合すると、武広勲と被告日動火災間の本件建設工事保険契約締結時には、被告日動火災が定めた約款及び条項を承認する旨記載された保険契約申込書により申込み、その際同約款及び条項によらない旨の特別の意思表示をすることもなく(同約款及び条項については説明を受けるか、閲読の機会が与えられていたはずである)同保険契約を締結した(同約款及び条項に従つて契約を締結しその証しとして保険証券とともに約款・特約条項集が送付されたが、武広勲は異議を述べずに事後においても承認をしている)ことが認められるのであるから、武広勲はいずれにしても同条項に従つて本件建設工事保険契約を締結したものと推定され、特別の反証のない本件においては、武広勲は同条項を同保険契約の内容として合意したものとして同条項に拘束されるものといわざるをえない。また、武広勲から原告が同保険契約上の権利を承継したものとすれば、原告においても同条項に拘束されるものといわざるをえない。そして、同条項が合理的なものとして、また信義則及び衡平の観点からみても有効なものであることは前述のとおりである。
なお、被告日動火災が原告に対し前記承認裏書請求の手続をとつていないがこれを不問として本件建設工事の保険金支払いを承認した旨の原告の主張は、本件全証拠によつてもこれを認めることができない。
3 してみると、本件保険契約が本件建設工事保険契約であると善解しても、原告は被告日動火災に対し保険金の支払いを請求しえないので、原告の被告日動火災に対する本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当といわざるをえない。
また、本件保険契約を住宅火災保険契約と解し、また前記一の点はともかくとしても、右1・2の理は同じであるから、原告の本件保険金請求は右同様の理由からも失当なものといわざるをえない。
第三結 論
以上の次第で、原告の被告らに対する本訴各請求はいずれも理由がないのでこれらをそれぞれ棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官小林一好)